今回は自分で書いた小説『手の動き』を載せます。あ、大丈夫です。みなさんは小説と聞いたら単行本一冊の文字数をイメージされるかと思いますが、掌編小説なのでサクッと読めます。その解説が下に続きます。皆さんご自身の自分の解釈と照らし合わせば、新しい発見があるかもしれません。
『手の動き』
或る朝ある家で、老人が目を覚ました。老人は一人暮らしだった。ベッドで仰向けになっていた老人は体を横にしてから、起き上がった。老人は寝室のカーテンを、一枚ずつ開けた。
老人は食卓がある居間に向かった。食卓の上にはクロワッサンを一つ入れた袋があった。老人はそれを置いたままの状態で、袋の上をハサミで切り取った。そしてクロワッサンを取り出した。続いて老人は食器棚からコップを取り出して、それを食卓に置いた。続いて冷蔵庫から牛乳パックを取り出した。そしてコップを食卓に置いたまま、それに牛乳を注いだ。牛乳を冷蔵庫に戻した老人は食卓についた。まずコーヒーをすすった。そしてコップを置いてから、クロワッサンを手に取り食べた。こうして、コップを置いてはパンを食べる、パンを置いてはコーヒーをすすのを繰り返した。パンを食べ終えコーヒーを飲み干した老人は、台所に向かった。老人は長袖を着ていたが、袖を捲らずに食器とコップを洗った。
食器とコップを洗い終えた老人は、洗面所に向かった。そしてそこにある歯ブラシを毛が上向きになるように置き直した。続いて歯磨き粉が入った容器を手に取り、歯ブラシを置いたままその毛に歯磨き粉をつけた。老人は歯を磨き、それが終わると歯ブラシを置いた。そして蛇口を捻ってから歯ブラシを洗った。また歯ブラシを置いてから、蛇口を閉めた。老人はタオルで手を拭いた。老人は人より、手を拭くのが早く済む。
老人は大便をするためにトイレに向かった。排便を済ませた老人は、上のホルダーを親指で抑えながらトイレットペーパーを破り取った。そして尻を拭いた。
トイレから出た老人はクローゼットに向かった。老人は寝間着から外出用の服に着替えた。老人は人より、着替えるのに時間が掛かる。
着替え終えた老人は、内玄関に向かった。そして内玄関に置いある靴を、立ったまま履いた。
外に出た老人に風が吹き付ける。老人は歩き出した。老人の右袖が風のままに揺れる。老人には、右腕がないのだ。
『手の動き』の解説
この作品のテーマは「体の欠損」です。それを最後の一文になるまで、ひた隠しにしました。隠すとは言っても、匂わせはします。
例えば、老人が目を覚まして寝室を出るまでのシーン。片腕が無いと仰向けのまま体を起こすことはできません。だから「体を横にしてから」と書きました。しかしここで、「体を左に倒してから」と書いたら、どうでしょう。勘のいい人だったら、右腕が無いことを見抜いてしまうのではないでしょうか?だからあのように書きました。これだったら、わざわざそんなモーションまで書くのか……と思われるだけです。カーテンもそうです。片腕が無いと、両方のカーテンを同時に開けることが出来ません。だから「一枚ずつ」と書きました。これも、描写が多いな、とぐらいにしか思われません。
ちなみに二文目に、「一人暮らし」と書いたのにも訳があります。そのあと延々と老人の行動が続きます。他の人の存在がありません。しかし同居者がいて、寝ているということも考えられます。まあカーテンを開けたとあるので、同居者がいる可能性は低いでしょう。しかし明るくても寝ていられるという人もいます。だからそこをハッキリさせるために、「一人暮らし」と書きました。
次に、朝食のシーン。片腕が無いと、クロワッサンが入った袋を持ちながらハサミで切るということが出来ません。だから「それを置いたままの状態で」と書きました。牛乳をコップに入れるのだって、牛乳とコップを同時に持つことが出来ません。準備が終わり実際に食事を取るときだって、コップとクロワッサンを同時に持つことが出来ません。次に、食事が終わり皿とコップを洗うシーン。老人は長袖を着ていました。きっと夏ではないのでしょう。普通、洗い物は袖を捲ってやります。しかし片腕が無いと捲れは出来ますが、戻すことが出来ません。だから「袖を捲らずに」と書きました。ここまで来ると読者は、描写ではない違和感を抱くはずです。「なぜこの老人は、こんな変わったことをするのか?この老人、一体何者?」とか思うでしょう。それも右腕が無いことを、隠しているからこそです。
次に、歯磨きをするシーン。片腕がないと、歯ブラシと歯磨き粉の入った容器を同時に持つことは出来ないし、歯ブラシを持ったまま蛇口の操作をすることは出来ません。次に、歯を磨き終えた老人がタオルで手を拭くシーン。片腕が無いと、単純に拭く面積が減ります。だから、「老人は人より、手を拭くのが早く済む」と書きました。
次に、トイレのシーン。普通はトイレットペーパーを取るときに、片手で押さえて、もう片手で切り取ります。しかし片腕が無ければ、どっちも片手でやらなければなりません。そうなったとき、親指で押さえて、親指以外で切り取るというのも一つのやり方かと思います。
次に、着替えるシーン。着替えるためには服を固定しながらずらす動きが必要になります。しかし片腕が無いと、それが大変になります。だから、「老人は人より、着替えるのに時間が掛かる」と書きました。
次に靴を履くシーン。片腕が無いと、しゃがんだり立ち上がったりするのが大変です。だから「立ったまま履いた」と書きました。
最後、風に吹かれるシーン。片腕が無いと、風が吹けばその方が風に靡きます。読者によっては、この時点で老人には右腕が無いことに気が付いたかもしれません。しかし確実に種明かしが伝わるように、「老人には、右腕がないのだ」と書きました。この文を読んだ瞬間、バチバチバチと今までの事が頭の中で繋がるでしょう。全てこのために起こっていた事だったのか、と。
終わりに
今回は自作小説とその解説を載せました。この解説はあくまで、作者の解釈になります。みなさんは存分に深読みしちゃってください。
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