物語に思いを馳せよう ~洞窟の比喩~

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皆さん、小説って読みます?小説の世界に入り込むためには想像力が必要です。それは、作る側も同じです。この記事を読めばいつか書くとき何かを想像する、練習になると思います。今回の題材は「洞窟の比喩」です。お楽しみください。

「洞窟の比喩」とは?

古代ギリシャ、プラトンという哲学者がいました。彼が著作「国家」の中で、イデアという概念の比喩に使ったのが「洞窟の比喩」です。

生まれた時から洞窟の奥に住んでいる人たちがいる。手足、首が縛られた状態で奥の壁を向かされている。彼らの背後には松明があり、彼らと松明との間にある塀の上で動かされる人形の影を奥の壁に映し出している。彼らは自分たちが見ているものが影だとは気づかず生きている。ある時そのうちの一人が、拘束を解かれる。彼は後ろを向き、混乱する。すると彼は洞窟の外へと連れていかれる。目が慣れた彼は、本当の世界を理解する。再び洞窟に降りた彼は、洞窟の人々が見ているのは影に過ぎないことを知る。

拘束を解かれた人が洞窟を出るシーンを想像します。洞窟を出るということは歩くんですよね。彼は、何を感じどう歩くんでしょう?思い出してください。彼はもともと拘束されていた。一時的なものではなく、ずっとずっと。筋肉は付かないでしょうし、体の動かすための脳が発達しないでしょう。さて、これで拘束を解かれたらどうなるでしょう?よっこらしょ、と立ち上がることも出来ないでしょう。拘束を解いた人が支えたはずです。立ち上がっても、その状態を維持するのも難しいでしょう。足が、いや全身がプルプルしちゃう。安定させられても今度は歩き、があります。それもやはり。結局しびれを切らした付添人がおぶって洞窟を出るのでしょう。

拘束を解かれた人が洞窟の外に出てからのシーンを想像します。洞窟の外には太陽があり、自然が広がっています。彼は何を感じ何するんでしょう。太陽と言えば光です。ずっと洞窟の奥という暗い世界にいたので、太陽の光が強く感じられるでしょう。ちょっとではありません。尋常ではなく、です。慣れるのに、一日じゃ効かないでしょう。自然は空と大地と生き物から成ります。空気、新鮮な空気。洞窟の中の空気とは違うでしょう。彼がスーハー、スーハーと味わう光景が目に浮かびます。人の手が入っていない大地はゴツゴツとしています。えっ、洞窟の中もそんなもんだろって?いえいえ、彼は拘束されていたので地面の感触を知らなかったはずです。そして多種多様な生き物。どれもこれもみたことがありません。人形の中には動物を模したものもあったかもしれません。しかししょせん影ですし、壁なので二次元です。三次元になると印象がガラッと変わります。彼に例えば、ウサギが近づいてきたとしましょう。直前に言った通り、今まで見てきたのは二次元です。たとえ人形が前後に動かされてもシルエットが大きくなったり小さくなったりするだけです。なのでウサギが近づいても、近づいているというより大きくなっていくように感じられるでしょう。

今回は「洞窟の比喩」を想像してみました。みなさんも時間があれば、何かを想像し書いてみてください。それでは今回はこの辺で。

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